創業者のご紹介 〜 野澤 一郎伝 〜

第5章 後世に残した遺品

真岡高校記念館の野澤一郎コーナー

真岡高校記念館の野澤一郎コーナー

一郎が後世に残した遺品等は数多くあるが、その1つが一郎の生家が檀家となっている上三川町蓼沼の満福寺の大広間天井から下がる「天蓋」である。同寺は戊辰戦争時に宇都宮城を攻めるために土方歳三率いる軍勢が本陣したといわれる寺である。

天蓋は六角形をした大きなもので、角には龍があしらわれ、優雅な天女が空を飛ぶ姿が描かれている。裏には昭和16年8月16日野澤一郎の文字が書かれている。


上三川中学校の校長を務めた父親が一郎と親交があったという同町文化財保護審議会町の日向野昇氏(68)は「野澤さんの手によるものは、田川に架かる橋、本郷中学校の旧体育館、本郷小学校の門等沢山ある。私は幼い頃に野澤さんにあった事があるが、ガッチリした体の大きな人だった。父からはとても倹約家で信仰に厚い人だったと聞いている。」と話している。


小山市犬塚にある(株)巴コーポレーション小山工場敷地内に建つ野澤一郎記念体育館には一郎の遺品が数保管されている。本体育館は、一郎逝去の翌年、巴組鐵工所にて取り組まれた「野澤一郎記念事業」の一環として社内での設計競技が行われ、金賞を受賞した作品を基に建設されたものである。当時新たに開発されたばかりのボールと鋼管を用いた立体構造「トモエユニトラス」を採用し、第1号の建物として建設されたものである。この体育館の一角が「野澤一郎記念館」になっている。記念館に入ると、木彫りの扉が正面に展示されている。これは一郎の代々木の自宅で使われていた扉である。

1階には会社の沿革や企業概要、スカイツリーや東京ビッグサイト等、過去に携わった全国の主要建設物等の説明が一覧できる。

2階には作品の展示室が造られ、一郎の数々の作品が展示されている。絵画は、日光杉並木の風景画、母親をモデルとした人物画、達磨大使の像など約30点を見る事が出来る。保管してある絵画は約150点で、時々掛け替えている、また、画集や長唄の教本、スケッチブックや日常品も見る事が出来る。一郎は国内外の旅行の際には必ずスケッチブック等の絵を描く道具を持参していたが、遺品からその面影が伝わってくる。

2017年10月6日の(株)巴コーポレーション創業百周年に関連して、前述の野澤一郎記念事業として1979年に埋めたタイムカプセル開封が予定されており、同時に一郎の評伝動画も制作されている。タイムカプセルには一郎の私物等が収められており、開封後は野澤一郎記念館に展示される予定である。

一郎の母校真岡高校には第11回日展入選作「雪景色」と2作の風景画が会議室等に飾られ、同校の記念館には著書をはじめとした資料が保管されている。校庭の半身裸像と大欅は同校のシンボルとなっている。(詳細は第1章を参照)


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